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石破茂の父親と母親はどんな人?兄弟はいる?家族とのエピソードも紹介!

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生活

2024年9月12日(木)自民総裁選が告示され過去最多の9人が立候補して本格的な論戦始まりました!立候補者の一人の自民党の石破茂衆院議員は「次の首相にふさわしい人」としてたびたび注目されています。

石破茂さんは、まんが好きで鉄道・軍事マニアとしても知られています。くらよしフィギュアミュージアムオープニングセレモニーではドラゴンボールの魔人ブウのコスプレで登場したことは大きな話題になりました。

そんな国民人気が高く今回も注目されている石破茂衆院議員の父親・母親・兄弟にスポットについて調べてみました。

\石破茂さんの考え方が深く理解できる1冊/

石破茂の父親はどんな人?

石破茂さんの父親について調べてみました。石破茂さんの父親の名前は石破二朗さんです。1908年(明治41年)7月29日 鳥取県八頭郡大御門村大字殿(現八頭町郡家殿)の農家に生まれました。1932年(昭和7年)東京帝国大学法学部を卒業しています。

石破二朗さんプロフィール
・名前:石破二朗
・1908年(明治41年)7月29日鳥取県八頭郡大御門村大字殿(現八頭町郡家殿)に 生まれる
・東京帝国大学法学部卒業鳥取県知事を15年、国会議員を7年務める

石破茂さんの父親の名前は石破二朗さんは、鳥取県知事を15年、国会議員を7年務めるなど国と地元鳥取県に尽力を尽くして、国や地方公共団体の公務または公共的な業務に長年従事して功労を積み重ね成績を挙げた方に贈られる「瑞宝章」を3回(うち1回は没後)授与されています。

「剛直そのもので温厚などとは程遠い人柄、めったなことに笑わない。」と後輩議員からは「こわい人」で通っていた石破二朗さんですが、「私は鳥取県の人間である。鳥取に住み、鳥取に墓をつくる」と述べるなど故郷を忘れず義と理に厚い人柄だったといいます。

多くの県民から敬まわれ、鳥取市永楽温泉に二朗さんの銅像が建てられました。一方子どもたちには厳しく、常に1番であることを求めていたそうです。

そんな石破二朗さんですが、石破茂さんが生まれた時は「金太郎」と名付けることを前から決めていましたが、和子夫人からいじめられたらどうするんだと血相を変えて止められたそうです。吉田茂元総理の「茂」をもらったというエピソードもありました。

石破茂さんが小学生に上がった時も祝い酒を一緒に飲もうとして、こちらも和子夫人に怒られ止められています。息子とお酒を酌み交わすということが石破二朗さんにとって夢であり喜びの表現だったのかもしれませんね。

外では怖い印象がありながらも真っすぐで信用が厚いのに和子夫人には敵わない石破二朗さんですが、息子の茂さんは「一生かかっても越えられない存在」と語っていて偉大な父親だったことがうかがえますね。

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石破茂の母親はどんな人?

石破茂さんの母親の名前は「石破和子」さんです。1918年(大正7年)8月生まれです。父は内閣官僚や徳島県知事、山形県知事を務められた金森太郎さんで、祖父は宗教家で牧師の金森通倫さんです。

国語教員をしていて教育熱心な人物だった母親・和子さんは石破茂さんに小学校の頃は毎晩1時間程度、偉人伝の朗読をさせていたそうです。

石破和子さんプロフィール
・名前:石破和子
・1918年(大正7年)8月生まれ
・父は内閣官僚や徳島県知事、山形県知事を務めた金森太郎さん
・祖父は宗教家で牧師の金森通倫さん

石破茂さんの父・二朗さんは、石破茂さんが卒業した鳥取一中(今の鳥取西高)に進ませて東大に入れて役人にしたかったといいます。ですが石破和子さんは「知事の息子が県立高に行くのはあまりよくない」という考えがありました。

和子さん自身、知事の娘として県立高に行って教師や友人からも特別視されて嫌な思いをしたそうですよ。そのため茂さんには同じ目には遭わせたくないと思っていたといいます。

結局、石破和子さんの意見が通って石破茂さんは東京の慶應義塾高校に進学します。石破茂さんは15歳で東京に出ることになりました。石破二朗さんはすごくがっかりしていたようですが子供のこと第一に考えパワフルで芯が強い和子さん、まさに「母は強し」ですね!

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石破茂には兄弟はいる?

石破茂さんには兄弟はいるのか調べたところ、姉が2人いることがわかりました。石破茂さんには兄弟の名前については公表されていません。上のお姉さんは1940年(昭和15年)、下のお姉さんが1941年(昭和16年)生まれで、茂さんと下の姉ではなんと16歳の差があります。

石破茂の兄弟情報
・姉が2人(名前の公表はなし)
・上の姉は1940年(昭和15年)、下の姉が1941年(昭和16年)生まれ
・上の姉は国語教師、下の姉は英語教師。
(上の姉は英語教師、下の姉は歴史教師という情報もあるので免許を複数取得している可能性あり)

いずれも母・和子さんの意向で中学から私立の女子学院に進学して東京女子大を出て上の姉は国語教師、下の姉は英語教師になったそうです。上の姉は英語教師、下の姉は歴史教師だったという情報もあるので免許を複数取得しているのかもしれません。

石破茂さんは苦手な読書感想文の課題図書をやっていいた際、夏休みで帰省していた当時大学生だった姉に「こんなものは読書感想文ではない!」と叱られて泣きそうになったというエピソードを明かしています。

姉も母・和子さん同様、教師ということもあってか勉強には熱心だったことがうかがえますね。さらに石破茂さんが慶應義塾高校に進学して一人暮らしを始めた際、上の姉が近くに住んでいたためその近くにアパートを借りて食事やその他の面倒も見てくれたそうですよ。

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上の姉との年齢差は17歳、15歳で一人暮らしをすることになった石破茂さんにとって、かなり心強い存在だったといえそうです。

石破茂の実家はどこにある?

石破茂氏の実家は鳥取県八頭郡にあると思われます。石破茂さんはこの地域で育ち、地元への強い思い入れを持っています。また、石破茂さんの父親である石破二郎さんもこの地で政治活動をしていました。なので石破家はこの地域との結びつきが非常に深いことがわかりますね。

石破茂さんは、選挙活動を行う際にも地元を重要視していました。地元の人々との関係を大切にしていたんですね。なので石破茂さんの好感度は高いのかもしれませんね。鳥取県八頭郡は、石破茂さんの政治活動歴史にとって大事な場所となっています。

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まとめ

今回は石破茂さんの父親・母親・兄弟について調べました。父親は「石破二朗」さん、1908年7月29日 鳥取県八頭郡大御門村大字殿(現八頭町郡家殿)の農家に生まれ鳥取県知事を15年、国会議員を7年務めるなど国と地元鳥取県に尽力を尽くしました。

母親は「石破和子」さん、1918年8月生まれで父は内閣官僚金森太郎さん、祖父は宗教家で牧師の金森通倫さんです。国語教員でとても教育熱心だったそうです。

茂さんには姉が2人いて名前は公表されていませんが、上の姉は1940年生まれ、下の姉が1941年生まれです。上の姉は国語教師、下の姉は英語教師だそうです。上の姉は英語教師、下の姉は歴史教師だったという情報もあるので免許を複数取得している可能性がありそうです。最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

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